ウォッチング

 ここはデジタル工房スタッフのひとり言のページです。工房から周辺の地域を眺めて、生活文化の香りをみなさんにお伝えします。
 スクール&ラボの「デジタル工房」は、池袋から東武東上線で二十分の「志木駅」北口を降り、歩いて2分のところに在ります。「志木」は東京への通勤圏にあって、ベットタウンとして急速に開発されたまちです。高層のモダンな住宅群の志木ニュータウンは、都市開発の優れたモデルとして全国的にも知られています。江戸時代からこのまちは、荒川の支流である新河岸川の舟運で栄えてきました。古い歴史をもち、戦前までは、静かなたたずまいをもったまちだったのですが、最近では、ショッピングに便利な大型店舗の進出も目覚ましく、まちの風景は急速な変貌を遂げました。

 ウォッチングの第三回(第一回第二回第四回第五回第六回第七回第八回はこちら)は「市場大通り」についてです。


市場大通り

 引又河岸の船着き場から野火止用水に沿った市場通りには、江戸時代から幕末、明治、大正、昭和初期に至るまで酒造り、問屋、商店が軒を連ねていまし。志木市に残されている古文書「舘村日記」によると、江戸時代初期の住民として、「三上」、「星野」、「村山」の姓をもつ家族が草分けとされ、また「西川」家ほか四つの家系がこの土地に移り住んだと云われますが、現在でも市場通りには、これらの姓を名乗る商店が沢山あります。

 市場通りきっての名門「西川家」本家に残された江戸時代の屋敷門

 同家に残る神棚

 市場大通りに面して偉容を誇っていた「西川家」本家の土蔵

 慶応二年(1866)の六月、米価の暴騰をきっかけとして、武州十五郡、上州一郡(現在の埼玉県西部から群馬県にかけての地域)の広い地域で発生した「武州一揆」には、十数万人が加わり、江戸時代の一揆の中でも最も激しいものとされています。このとき市場通りの豪商はつぎつぎと一揆に教襲われ、大きな被害を受けています。写真は本町の旧家に残る「武州一揆」のつめ跡です。釘も打ち込めない欅の柱、欅のなげしが鋭い刃物で傷つけられています。

 一揆の傷跡