ウォッチングの第三回(第一回、第二回、第四回、第五回、第六回、第七回、第八回はこちら)は「市場大通り」についてです。
市場通りきっての名門「西川家」本家に残された江戸時代の屋敷門
慶応二年(1866)の六月、米価の暴騰をきっかけとして、武州十五郡、上州一郡(現在の埼玉県西部から群馬県にかけての地域)の広い地域で発生した「武州一揆」には、十数万人が加わり、江戸時代の一揆の中でも最も激しいものとされています。このとき市場通りの豪商はつぎつぎと一揆に教襲われ、大きな被害を受けています。写真は本町の旧家に残る「武州一揆」のつめ跡です。釘も打ち込めない欅の柱、欅のなげしが鋭い刃物で傷つけられています。