ウォッチング

 ここはデジタル工房スタッフのひとり言のページです。工房から周辺の地域を眺めて、生活文化の香りをみなさんにお伝えします。
 スクール&ラボの「デジタル工房」は、池袋から東武東上線で二十分の「志木駅」北口を降り、歩いて2分のところに在ります。「志木」は東京への通勤圏にあって、ベットタウンとして急速に開発されたまちです。高層のモダンな住宅群の志木ニュータウンは、都市開発の優れたモデルとして全国的にも知られています。江戸時代からこのまちは、荒川の支流である新河岸川の舟運で栄えてきました。古い歴史をもち、戦前までは、静かなたたずまいをもったまちだったのですが、最近では、ショッピングに便利な大型店舗の進出も目覚ましく、まちの風景は急速な変貌を遂げました。

 ウォッチングの第四回(第一回第二回第三回第五回第六回第七回第八回はこちら)は「二、七の市」についてです。


二、七の市

 江戸時代から、豪商が軒を連ねる市場通りには、用水を挟んで両側に、生活必需品を売買する「市」が立ちました。この市は近隣農村の住民にとって不可欠のものとなり、二と七のつく日に立つ市(二、七の市)は第二次大戦直後まで続き、旧正月、二月二日の市は、近隣の買い物客、見物客でごったがえしました。

 市場通りを貫通していた「野火止用水」は、昭和四十年(1965)、県道の大改修によって忽然とその姿を消し、二、七の市もなくなってしまいました。江戸時代から明治、大正を経て引き継がれてきた「市」とともに、長い歴史を刻んできた街の景観も失われました。

 この通りに面した商店が、「いろは樋」に因んで最近「いろは商店会」を結成し、年に一度(八月下旬)ですが、「いろは市」を復活しました。しかし現在の市場通りの写真をご覧下さい。いつも多くの車が列をつくり、道路は車で溢れ、車で埋っています。かつての景観を偲ぶことはもはや不可能になってしまいました。

 下に示すニ枚のイラストは、昭和二十年代頃の写真をもとにして描いたものです。

 野火止用水のイラスト1

 野火止用水のイラスト2

 一方現在の市場通りを対比させてみましょう。

 現在の市場通り

 以上は志木市文化財保護委員の編集、志木市教育委員会発行の「しきふるさと史話」を参考にして紹介したものです。